九星占いについての解説
九星は、次の魔方陣が起源となっりそれを使って占います。
東南 九南 西南  では実際の占い方を少々説明してみましょう。占いの特徴①循環運で未来を予知出来る。例えば私は9紫火星(実際の天体ではなく観念で作った)架空の星。例えば私の平成17年の年運を占ってみましょう年運に使用する方位図は向かって右です。向かって右架空の星の図の真ん中に4が有ります。これを4緑中宮と申します。まず向かって左の図、魔法陣は絶対動かないと考えて下さい。しかし私の9紫火星は年ごとに循環すると考えて下さい(※実は日、月、年で動くと考えます)向かって右は平成17年の私の本命星9紫火星の位置を左の不変の魔法陣と比べて重ねると一北の位置と重なりませんか?これで一年の運命を推理するのです。右不変の魔法陣一北は水を表し現象で言いますと悲しみ困難を表します。私の本命星9紫火星は字を見れば御解りの様に火星で火の象徴です。火が水の中に入ってしまえばジュ消えちゃいますよねそこで年運はさえないと推理するのです。右のアラビア数字で表した架空の星は日、月、年で変化します。占いをする人は万年暦と言う物を持って日、月、年のこの架空の星の動きが全てが解るのです。(数学的に魔法陣を理解すれば年ぐらいは書けます。)これが年運です。年運、月運、日運も占えます。※私の実際の17年の運は良い年でしたが…これは魔法陣と陰陽五行説五行の相克と五行の相生に基づいた考えが理論的な支柱になっております。さらに詳しく知りたい方は下の右の図が暦の実際図です。九紫火星は北に有り、そこには地支は子(ね)天干は壬(みずのえ)癸(みずのと)方位神は姫金神、都天殺が配置されています。凶神です。さあ大変だ姫金神、都天殺様の社に行ってお願いを残念でした。9星術が生み出した架空で気にする必要は無いですただし占いは良くないと占断します。
西
東北 一北 北西
 占いの特徴②ある方位に進む居住した時の運勢を占える。向かって右の架空の星の図を見ていただきます。例えば9紫火星の私の家は浅草に10年居住しここが住居としましょう平成17年の1年間新宿に単身赴任の運命はここでは運命はやはり右の架空の星の図で占います。私の居住は4の真ん中と考えます。4の意味は考えません地図にこの架空の星の図を重ねて新宿の方向に黄色く塗られた5の方向が有ったとしましょうこれを五黄殺と言ってその方向は悪い事が起こるその対の赤い場所の方向を暗剣殺と言って年運ではやはりその方向では悪い事が起こります。ではこの場合よい年運の方向はと申しますと東に有ります。これを方位学占いと申します。この様な考えは説明した物とは原理は全く同じでは無いと考えられますが源氏物語の中に登場し方違え※(弊作東洋の占い世界附属の方違の記述リンク付けました方違の字クリックして下さい。)などの独特の言葉でこう言う考えを持っていた事が解るのです。勿論この方位も日の吉の方位と悪い方位、月の吉の方位と悪い方位、年の吉の方位と悪い方位が占えます。方位よけと言って悪い方位に行かなければならない時や上の解説で例えば私の場合は9紫火星が五の魔法陣に入る年回りに入る時は御祈祷をして災いを除く祈願をする(方位よけと言うと思います)寺社が有ります。密教系寺院や寒川神社の方位よけのお守りは有名、追加です。京都の城南宮の方除のお守りも有名だそうです。なんと言っても「我が山は花の都の丑寅に鬼入る門を塞ぐとぞ聞く(拾玉集)の天台座主慈円の歌にも有るように鬼門を守るために比叡山延暦寺が有る都ですで城南宮の様な方除のお守りが無いわけがなかったのですが田舎者なので気づきませんでした。いずれにしても※薬王院高幡不動川崎大師川越喜多院山王日枝神社(江戸の裏鬼門でやはり方除け御祈祷が有ります)など思いつくままに記しましたが気になる方は各寺院にお問い合わせやホームページで御調べ下さい。これも魔法陣と陰陽五行説の五行の相克と五行の相生に基づいた考えが理論的な支柱になっております。
 占いの特徴③さまざまな人間の性格と相性を占う事が出来る。これも五行の相克と五行の相生の応用で9紫火星の性格これは私の性格に当てはまるかどうかは自分では解りませんがこの様に陰陽五行説の五行の相克と五行の相生の応用でこの占いは出来ると言います。九星の相性を探してリンクを貼ってみました。人間の性格は精神医学者のフロイト、ユング、クリッチマーなどが色々科学的に論じているのですが未だに結論を見ないのが現実であります。ただ私が昔、心理学をかじっていた時、講師が「性格はドイツ的な考え人間の性格は先天的素質で殆ど決定される。と云う考えと人間の性格は生まれ育った環境(後天的環境)合衆国の心理学の考えで決定される。と言う二つが主流であったが今は先天的素質と後天的環境の影響が半々と言う考えであると言っていました。今はどうなのでしょうかまたそれを質問様式で探ろうとする試みもなされているようでありますが(谷田部ギルホードテストYGテスト)性格の一側面しか解る事は出来ないでしょうこの九星がどれほど人の性格や相性で応用出来るかは私には解りません。私自身の自分の性格評価はただの変人と思っていますが。
魔法陣は縦・横・斜めのいずれの列についても3つの数字の和が15になるというもの。伝説では、夏王朝の創始者の兎が洛水を通りかかった時、川の中から飛び出た神亀の甲羅に描かれた模様からこの魔方陣を思いついたとされています。よってこの魔方陣、洛水の書を洛書と言います。ゆえに九星とは星のごとき名前でも天文の星とは何の関係も無いのです。
河図 洛書 暦の実際の図
右の図は河図、洛書、宋の学者の朱子が「周易本義や易学啓蒙」に採用してから権威を持つようになる。しかし清朝の学者からは根拠の無い捏造と批判されたという。 河図 洛書 この時の私の九紫火星の年運の某社暦実際の占いの言葉 「本年の九紫火星は坎宮に回座します。坎宮は一白水星の定座で北方位に当たり、地支は子、天干は壬、癸が配されます。…中略…万事に塞がって通じない年回りとなります。…」
に歳徳と書いてあったり例えば○人道○天道と書いてあるのは方位神、と呼ばれるもので何れも九星術から生まれたもの特に歳徳神、は今でも恵方巻きなどの食べ物にその名残を残しております。あまり気にする事は無いのではと思います。
 上の九星術は太一九宮法とも言います。北極星を神格化した太一(太乙)に八卦の宮殿を巡らせていく方法。九星図は洛書、後天図を組み合わせて出来ています。九星占いの基本です。文献に初めて登場は漢代「易緯乾鑿度」で鄭玄の注、唐代には太一神をはじめ九宮貴神の壇を設け大規模な祭りや禍福を占ったと言います。したがって九星占いが完成したのは唐末と考えられています。その最初の年、元期を何時にとっているかと言えば隋の文帝の仁寿四年(604)を甲子の年ととり、この年を上元甲子と定め一白中宮としました。我が国は貞享元年(1684) 甲子年に下元甲子当たっていると考え、従来それを元に占って来ました。しかし中国の(清の康煕帝23年) ではこの年を上元甲子としている事が判明しました。つまり本家の中国と暦の使用開始時が60年ずれていたのです。この暦の使用開始時が中国と違っていた事に運勢家は大いに驚きようやく天保年間にこの道の大家の松浦琴鶴なる者が決心して九星占いの家元の中国と同じにし60年の暦のずれを修正しました。だから九星占いでたとえ運勢の悪い年と言われてもこの様なな経緯を知れば(長い間日本では60年のずれを知らずに占っていた事)それ程気にする事は無い事が理解出来ると思います。どうかくれぐれも占いは簡単な参考程度にして妄信しない事をお勧めしますしかしよく出来過ぎていますよねはまんないで下さい最後にこの思想的背景はきわめて古く中国の戦国時代に鄒衍と言う人が理論を完成させたと言われています。(鄒衍は五行の相克を後の漢代の劉歆は五行の相生を唱えた)私も昔、五行大義と言う本を読みましたがくそ面白くもなく内容も覚えておりません陰陽道はせいぜい神宮館の暦ぐらいの知識が有ればたくさんだと私は思っておおります。現在は若い方は西洋の占星術の方が流行していると思いますが古い占いを知る事は方違えとか鬼門とかの平安の人の陰陽道の考えに触れる興味深い機会なのでつまらないかもしれませんが暦など購入して本命星でも探してみては如何でしょうか。若い人は知らない人が殆どでしょうから。
解説 原田俊介

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